戦後、日本がおかしくなったのは、どのポイントなんだろう。
私は、田中角栄が倒れた85年が転換の年だったのではないかとなんとなく思っている。
85年とはどういう年だったのだろうか?もう一度年表でチェックしてみた。
広告景気年表から一部抜粋する。
http://www.dentsu.co.jp/marketing/adnenpyo/r1985.html
経済概況(1985)
昭和60年の日本経済は,2年前からの景気回復過程を受けて拡大を続けたが後半に入ると,米国景気のスローダウンと円高による輸出の鈍化が目立ち,内需も個人消費,住宅投資が盛り上がりを欠き,景気は徐々に減速傾向を見せ始めた。
経済成長率 名目 6.6% 実質
民間最終消費支出 名目 5.7% 実質
民間企業設備投資 名目 12.4% 実質 12.0%
輸出 名目 2.8% 実質 5.4%
消費者物価
政治・経済・業界(1985)
○自民党内最大派閥田中派から,中堅,若手議員を中心にして,竹下登氏が「創政会」を旗揚げ(2.7 )。田中元首相,突然脳こうそくで倒れる(2.27)。
×チェルネンコ・ソ連共産党書記長が死去(3.10)。後継に,ゴルバチョフ政治局員兼書記を選出(3.11)。以後,早いテンポでその基盤を固めるとともに,ソ連指導層の若返りが進められた。
○上越・東北新幹線,上野乗り入れ開始(3.14)。
○「科学万博-つくば '85」(国際科学技術博覧会)が茨城県筑波研究学園都市で開催。3月17日から9月16日までの 184日間の期間, 2,033万人の入場者を記録。
○公社の民営化で日本電信電話(NTT),日本たばこ産業が発足(4.1 )。
○59年度の貿易,輸出超過額が 350億7500万ドルに達した。うち96%が対米出超額(4.12通関速報)。
○政府が包括的な対外政策を決定。首相は,テレビで外国製品の 1人 100ドル購入を呼びかける(4.9 )。対外経済政策推進本部は,市場開放のための行動計画(アクション・プログラム)の骨格を決定(7.30)。経済対策閣僚会議が,当面の事業規模約3兆 1,000億円の内需拡大策を決定(10.15 )。
○羽田発大阪行き日本航空ジャンボ機が,群馬県の山中に墜落。世界最大の航空機事故。 520人の乗員・乗客が死亡,乗客4人が奇蹟的に生存(8.12)。
○三光汽船が倒産。負債総額5200億円,戦後最大の倒産となる(8.13)。
×主要5カ国蔵相・中央銀行総裁会議,ニューヨークで開催。ドル高修正を合意(9.22)。11月25日,4年9カ月ぶりに1ドル= 200円を突破する円高に。
○関越自動車道,前橋-湯沢インター間が完成,全線開通(10.2)。
×レーガン・米大統領とゴルバチョフ・ソ連共産党書記長が,ジュネーブで6年半ぶりに米ソ首脳会談を開く。核不戦の原則確認などを骨子とする共同声明を発表。文化交流協定に調印(11.19 ~21)。
(85年の重要な出来事)
田中派分裂2.7⇒角栄脳梗塞2.27⇒市場開放の行動計画7.30
⇒JAL123便の墜落8.12⇒プラザ合意9.22
これらが全部外国からの圧力による繋がりがあるとしたら恐ろしいことですね。
遊び半分で年表を見ていたら気持ち悪くなってきたのでこの辺で止めときます。私の想像の限界を超えてきました。ただの空想ということにしておきましょう。
http://ayarin.iza.ne.jp/blog/entry/482530/


by unimaro
民主党を自分たちのものにしよ…